イエスの祈り‐かれはどこで祈ったのか?
最も不思議な、そして興味をそそるものの一つは、イエスの祈り方です。福音にはかれの祈りのほんの断片だけ記録されています。
かれは時々夜通し祈ることは知られています。ゲッセマネの園でのかれと父との会話の壮絶さから、血の汗を流したと聖書に記録されています。
かれの最後の祈りは“わたしの思いではなく、しかし、あなたの御心がなるように”の二つのものが共存しています。この言葉にはこれから起きる虐待も受け入れる完全な献身が含まれていて、死の対面を避けてしまう傾向の人間とはなんと対照的でしょう。
イエスが公共で祈ったことについては記録されていません。かれは、その当時の祭司たちがしていたように、自分自身の注意を引くために霊性を用いないようにと、イエスに従う者たちに言われました。
イエスは気が散らないようにあえて誰もいない静かな場所に退いて一人で祈りました。私たちもかれをみならって、少しの時間家族や、友達や、他のものに邪魔されない静かな場所で神との交わりの時を持ち、神に焦点を合わせ神の声を聞こうではありませんか。
聖書は私たちに祈る“態度”を教えています。祈りは、仕事場でも、家にいても、掃除をしていても、ドライブしていてもできます。私たちに必要な祈りの態度とは、神の臨在を信じ、神はいつでも聞いてくださると心で信じることです。
義人の祈りは働くと、大きな力があります。”(ヤコブ5:16)この意味は、長い祈りと同じように、最も切迫した少ない言葉数の祈りにも同じ力が与えられます。“私は信じます”の態度はあなたの人生を変えるでしょう。
イエスの祈り‐かれはどのように祈ったか?
弟子たちがイエスに祈りの方法を聞きました。イエスは弟子たちに“主の祈り”を教えてくださいました。主の祈りとは、神を称え、あなたの人生にイエスの完全が浮ウれ、あなたの必要の満たしを願い、供給されると信じ、あなた自身を神にささげることができるように祈ることです。
あなたの祈りで覚えると良い新しい方法は、P.R.A.Y.、それはP.(Praise)賛美、R.(Rejoice)喜び、A,(Ask)聞く、Y.(Yield)応じる、です。これはあなた自身の祈りを築く重要な基盤となります。
イエスの祈り‐なにを学べるか?
祈りは一方通行ではありません。天にいる私たちの父は、私たちとのコミュニケーションを熱望しています。私たちの創造主との素晴らしいコミュニケーションの機会を、私たちは提供されています。かれは既に私たちの心と思いを知っています、しかし、かれにうちあけることを通して、私たちの重荷と願望が解き放たれます。
神に聞いてもらうとき、かれはご自分の答えを私たちに分かるようにしてくれます。私たちは自分の心と考えを祈って聞いてもらうだけではありません。祈りはかれとの交わりを築き、私たちの信仰を築きます。
神は私たちの必要ではなく、信仰に答えてくださいます。祈りは私たちの信仰が解き放たれた行動です。私たちも、イエスのように祈ることができます。
祈りについてもっと学びましょう!