イエスの奇蹟‐目撃者の証し
イエスの奇蹟の行なわれた範囲は、水をワインに替えたことから、足のなえた者と目の見えない者たちを癒した、などです。かれはこれらの奇蹟を本当にしたのでしょうか?少なくとも35回に余る、イエスの奇蹟の目撃者である四福音書の著者による証しがあります。(イエスの奇蹟の全リストを聖書から参照したい方は最後のページのリンクをクリックして下さい。)
イエスの奇蹟‐それは何ですか?
イエスの奇蹟についてメリアム・ウェブスター・ディクショナリーはその意味を次のように定義しています“一目瞭然として神の業と分かる驚くべき出来事が人間の問題に介入、または極端に際立った特異な出来事や状況の成就。”神学的基盤による奇蹟の定義は、“特異な意義を持つ出来事(Terasa)で、メッセージ、またはメッセンジャーである仲介者(Dunamis)の介入があり、極端で際立った特異な出来事(Semeion)”です。
奇蹟については数多くの解釈がありますが、その中で、ほとんどの人が同意すると思われる“奇蹟”についての定義は、自然の法則に束縛されない有益な結果をもたらす出来事でしょう。三年間にわたるイエスの公のミニストリーで、かれは人を癒し、自然をも支配し、試練の時に私たちに力を与え、そして死人をも生き返らせる奇蹟をおこないました。かれの行なった奇蹟の全ては自然の法則に束縛されず、その全てが有益な結果をもたらしました。
イエスの奇蹟‐これらの事柄から今日何を学ぶことができるでしょうか?
最初に、もし私たちがヨハネ2:1−11で記録されているイエスの奇蹟を目撃したなら、私たちはこの方についてもっと多くを学ぶことになるでしょう。まずかれは神であり“ミニストリー”の目的でこの地上に来られました。イエスは人々を愛し、人々を救うために来られたので、時間を割いて他の人の結婚式にも参加しました。あなたは他の人々との関係に価値を置き、他の人々と一緒にいる時、その人々を祝福してあげたいと思いますか?
第二に、イエスはかれの母親の願いに答えて、水をワインに替えました。母親マリアはかれの奇蹟を予期していたのでしょうか?それは私たちにも分かりません、しかし、この聖句から理解できることは、マリアは明らかに息子であるイエスを信頼し、かれが悪い状況を最善に変えてくれると知っていました。あなたは困難な状況にいるとき、誰に頼りますか?正しい方向性を教えてくれる誰かに信頼することができますか?
第三に、イエスが奇蹟を行なった時、かれの力は自然を支配しました。そして弟子たちがその奇蹟を見た時、“彼らは信じた”とヨハネが言っています。また水をただのワインに替えたのではありません、最上のワインに替え、人間としてのイエス御自身の人生を喜びで満たしました。あなたは真理を探し求めて堂々巡りをしてはいませんか?そしてキリストを忘れてはいませんか? あなたはイエスが神の御子であると信じますか? クリスチャンの人生など楽しくない、味気ないと思っているのではないでしょうか? イエスはあなたが弟子たちのように、イエスを信じて、約束されたダイナミックで心躍る新しい人生を経験して欲しいと望んでいるのです。
イエスは今でも奇蹟を行なうのでしょうか?何といっても、肉体を持ったイエスを私たちの中に見ることは出来ない、と思いますか?あなたは今までに癒された人、またはキリストとの関係を持ち、人生が変えられた人を知っていますか?知っているなら、あなたはイエスの奇蹟を見たのです。イエスの奇蹟の目撃者です。マリアのように、あなたもイエスにお願いして、かれがあなたに最善を尽くして下さるのだ、と信頼して、さあ、あなたの心に今イエスを迎え入れましょう!