(イエスは主 ・ム。シ・ネ1、ォ、鯣ノ、・)
イエスは主‐“強い言葉”ビル・ブライト(キャンパス・クルセードの創設者)
イエスは私たちの人生の主でしょうか…
“ある日私はちょっと放蕩息子のような感じの若者に質問しました。あなたはイエスを信じますか?
彼は“はい”と答えました。
“イエスがあなたのために死んだことを信じますか?”
再び彼は“はい”と答えました。
彼は教会を土台に成長し、クリスチャンスクールにも行きました、しかし今は主から離れています。私は応答して、“死んだとき、あなたは一体どうなると思いますか?”
彼は答えて、“私は天国に行きますよ。”
“そうですか“、確信はありますか?”と聞き返しました。
そして、“あなたは喜んで神の御心を行い、かれの御心のために自分の願望を放棄できますか?”
彼はかなり素っ気無く“出来ません”と言いました。
私は出来るだけ正直にまた率直に、“と言うことは、あなたはクリスチャンではありませんね。”
すると彼は,“それはあなたの意見が私の意見と違うだけですよ。”
私は続けて、“では、私たちがイエスに従う者であるかどうか、どのようにして分かるのですか? 自分自身を省みて:私たちは本当にイエスの御心に従っているだろうか? ある人は、「私はクリスチャンだし、キリストに属する者です、だから天国に行けます」と言います。しかし彼がイエスの言われたことに従わないなら、彼は嘘つきということになります。しかしキリストの言われることに従う人々は、神を愛しているので、神について学び、更に学び続けるのです。このようにしてあなたがクリスチャンであるかそうでないかが分かります。誰でも自分をクリスチャンであるとするならば、キリストのように生きなければなりません”(第一ヨハネ2:3−6)。“これは強い言い方です、しかしそれは神聖であり、神の霊の言葉です。もしあなたが聖書を土台とした人生を歩まないなら、何が取って代わるのでしょうか?”
イエスは主‐避けられないクリスチャンの真理
イエスはただ私たちの救い主だけでなく、私たちの主です…
“誤解しないで下さい。私は他の誰よりも強く、救いは信仰のゆえに神の恵みによって与えられた無償の贈りものであり、行いの結果ではないと信じています。それは誰も誇ることがないためです(エペソ2:8−9)。神のみが、誰がかれに属するか、また誰が属さないかを知っています。しかし聖句は自分自身を吟味するようにと強い言葉を用いています。「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。あなたがそれに不適格であれば別です。しかし、私たちは不適格でないことを、あなたがたが悟るように私は望んでいます」(第二コリント13:5−6)。
それだからと言って私たちが神の御心に失敗する度に、救いを失うと言う意味ではありません。それとは程遠いと言ってよいでしょう。要点は、いつも私たちの霊性の行く先を定め、神に従い仕えるという意味です。良い行で救いを確認することは出来ても、その良い行いが私たちを救いに導くことは出来ないからです
もっと読んでみましょう!
この情報はあなたのお役にたちましたか?下記のメ[シャルボタンを利用して他の方と共有してくだされば幸いです。
これは何ですか?
私たちに続く
|