イエスは主−“ある孤独な人生”から抜粋(作者不明)
イエスは主、さらにかれはその恵みと謙遜を通して御自分を主であると主張した…
“かれは片田舎の小さな村で貧しい母親のもとに生まれました。その後かれは別な村で育ち、30歳まで大工として生活し、その後3年間説教者として他の土地をまわりました。かれは家庭を持ったことがありませんでした。かれは本を書いたこともありませんでした。かれは事務所を持ったこともありませんでした。かれは家を所有したこともありませんでした。かれは高い教育も受けませんでした。かれは大きな都市に足を踏み入れたこともありませんでした。かれは生まれた場所から200マイル以外に足を踏み入れたこともありませんでした。普通の人に喜びとなるこれらのものを所有しませんでした。かれはなんの資格もありませんでした….
“若いとき、かれは多くの人から敵対されました。かれの友人達は逃げ去り、ある人はかれを拒絶しました。かれは敵にわたされ、侮辱され、裁判にかけられ、二人の罪人の間で十字架に釘付けられました。かれが死に瀕している間、死刑執行人たちは、かれのほんの一握りの持ち物であるローブをくじ引きにしました。死んだ後、おろされたかれの体は同情した友の墓に寝かされました。
十九世紀の長い年月は早くも過ぎ去り、現在もかれは人類の改革の中心的リーダーです。陸軍が全力で行進して来ても、今までに無い大規模な海軍であっても、強い議会が踏み込んでも、強力な支配権を持つ指導者でも、これら全部を合わせても、いかなる被造物も、孤独な生涯を送った、大いなる力をおびたこの方に影響することは出来ません。
イエスは主‐ジョセフ・パーカーの質問(1830−1902)。
イエスは主でありながら、人から非難されることを容認しました…
キリストを礼拝しない人々がいました;彼らはただ御子に疑惑を持ちました…。キリストを礼拝せずに却ってあらゆる方法で罵倒したとは悲しいことです。恐ろしいと思うのは、あなたがキリストを破棄するからではなく、キリストの上に立とうとするその態度に私は恐れを覚えます。イエスが世界の救い主でないなら、私にとってイエス・キリストは無きに等しい者です…イエス・キリストが与えて下さるものは、あなたにとって最も必要である助けだと、あなたはいつか知るでしょう。
イエスに関して無関心でいられる人は誰もいません。もしキリストについて興味がない人でも、キリストを礼拝するか、十字架刑に定めるかどちらかに決めなければなりません。熱心な調査の行き着く所は尊敬か、または拒絶のどちらかです。
イエスは主‐C.S.Lewis(1898−1963)“単なるキリスト教”から抜粋
イエスは主、しかし人類はかれを執拗にいろいろな名で呼ぶ…
“私は今ここで、イエスについてしばしば聞く愚かな言葉を阻止したいと思います。このように言う人がいます:「イエスは最も偉大な教えをする教師であると認めます、しかし、かれが神であるとする主張は認めません」私たちはこのようなことを絶対に言うべきでありません。もしただの人間がイエスの言われたようなことを言ったとしたら、その人は偉大な教師ではありません。かれは却って精神錯乱者であり“私は人でなくて本当は蒸し玉子なんだよ”と言ったと同じことです‐それともかれは地獄から来た悪魔でしょう。イエスを神の御子であると認めるか、または狂人とするか、それとも悪い人間だと言って‐愚かにも神であるイエスを締め出し、かれに唾をかけ侮辱して殺すことも出来ます;それとも、かれの足元にくづおれて、主よ神よ!と呼ばわることも出来ます。あなたはどちらかを選びとらなければなりません。しかしイエスについて、かれは偉大な人であり教師であるとする、ナンセンスで横柄な判断は止めようではありませんか。イエスはそのような判断を受け入れません。”
イエスは主 ・レ。シ・ク 2
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